歴史
HESTORY
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千葉県の米作りの歴史
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水路から田んぼに水を入れるために水車(踏車)が使われました。踏車を踏む様子は水郷の風物詩。
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人々は縦横に張り巡らされた水路を舟で行き来をしていました。
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小見川町(現香取市)内の風景。水路には舟が数珠繋ぎになっています。
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干潟八万石は「椿海」を干拓してできた耕地です。
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手業による田植えの様子です。田植え機は1970年代に普及が進みました。
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一束づつ鎌で稲を刈っていきます。稲刈りは重労働でした。
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束ねた稲をはざ掛けにして2週間程度天日干しにしました。天日に干すと旨味が増すといわれています。
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もみ殻を外した玄米を米俵に詰める作業を行っています。
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唐箕を使ってもみ殻と米を分けています。もみ殻が舞っています。
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利根川両総水門から取り入れた水は、ここ両総用水第一揚水機場からポンプでくみ上げられ、栗山川に送られます。
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水田の向こうには京葉工業地帯の工場群がのぞいています。
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米の本場水郷からは収穫を終えた米が毎日消費地へ送られていきます。
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天日干しされた米はサッパ舟に積まれて運ばれていきます。
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動力を利用した脱穀機が登場。石油発動機や電動機をつかうようになり、作業能率がいちだんと向上しました。
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北総の水郷地帯で使われた舟は、サッパ舟と呼ばれ農作業には不可欠でした。
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刈りとった稲は束にして、稲架(はさ)に掛け、天日乾燥させます。荷物の輸送も主役は蒸気機関車(SL)でした。
参考文献:千葉県農林部(1996年)『千葉県農林業五十年の歩み』
写真提供:千葉県文書館